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2025.10.30
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帝国ホテル総料理長杉本雄のサステナブルな視点
2025.10.30
帝国ホテル総料理長・杉本雄の探求 ~持続可能な美味への旅・石川~
帝国ホテル 東京の厨房で、日々料理を生み出す杉本雄総料理長。その眼差しが今、遠く石川県の豊かな大地と海に向けられている。
杉本シェフは、2021年より持続可能な食のあり方を考え、食品ロスの削減に取り組み、ラグジュアリーとサステナビリティーの両立を掲げ、「おいしく社会を変える」というテーマに取り組んできた。
「世間の潮流でサステナブルと言っているように聞こえますが、調理現場と生産現場で起きていること、思っていることの温度差、生産現場での課題など、現地に行ってたくさんわかることがあります。現地で生産者の顔を見て、その思いを汲むと、食材をどのように扱うべきかということが、おのずと見えてくると思います」
きっぱりと語る杉本シェフの言葉には、単にラグジュアリーであることや、美味しさの追求を超えた、深い想いが込められている。気候変動や資源問題が叫ばれる今、一流の料理人として、また一人の人間として、持続可能な食材への探求は避けて通れない道だ。
そんなシェフが昨年より選んだ舞台が、日本海の恵みと豊穣な土地を持つ石川県。能登の里海、加賀の里山で育まれる食材には、どんな可能性が秘められているのか。杉本シェフの石川への旅が始まった。
豊かな山、海に育まれた優れた石川県の農林水産物を見つける
石川県は、日本海に面した本州の中央部に位置し、能登半島と加賀地方という個性豊かな二つの地域から成り立っている。北の能登半島では、複雑に入り組んだ海岸線が生み出す豊かな漁場と、伝統的な里海文化が息づいている。一方、南の加賀地方は、白山連峰から流れる清らかな水に育まれた肥沃な平野部と、日本三霊山の一つである白山の恵みを受けた里山の自然が広がる。
石川県の豊かな大地では、歴史ある伝統野菜から県が新たに開発したブランド農産物まで、実に多彩な農産物が育まれている。杉本シェフはまず、「加賀丸いも」を栽培する岡元農場を訪ねた。
「加賀丸いも」は、石川県の能美市・小松市で栽培される特産のブランド山芋だ。ヤマノイモ属ツクネイモ群に属する黒皮種の大和芋で、ソフトボール大の大きさがあり、すりおろすと驚くほどの粘りと食感がある。
石川県の能美市・小松市で栽培される特産のブランド山芋、「加賀丸いも」。
杉本シェフは味見をしながら、「これは楽しめる食材ですね。何か違う食べ方のアイデアをいただいたような気がします」とにっこりした表情を浮かべ、「卵とかお魚とか、密着する食材に使っていくと、広がる感じがしますね」とあれこれ考えていた。
次に訪れたのは、能美市の米どころの「たけもと農場」だ。たけもと農場では自家製の生藁堆肥や白山の雪解け水を活かし、稲作技術や土作りに徹底してこだわっているという。2011年からイタリア米の栽培を開始し、試行錯誤を重ねてきた。現在では8品種の米を扱う中で、日本でのイタリア米の第一人者的な存在となっている。
「カルナローリ」は、本場イタリアのリゾットやパエリアに最適な国産米として高い評価を受けているそう。杉本シェフは黄金色に輝く稲穂を見つめながら、生産者の方の言葉に真剣に耳を傾けていた。
ついで訪れたのは、ホテルやレストランのシェフなどプロからも支持されているという「本田農園」だ。本田農園は地元の小学校や幼稚園から出る給食の生ごみを堆肥に使用し、作物が丈夫で健全に育つ土壌造りをしている。また、農薬の使用を控えつつ、失敗の分析と改善を徹底することで、安定して高品質なトマトを生産していると定評がある。
6棟のハウスから始まった本田農園だが、今では約70棟あるという。栽培されているのは中玉トマトが多いそうだ。
ハウスの中で食べてみてくださいと言われ、杉本シェフが枝から取り、かじってみる。「おいしい!皮が柔らかくて、みずみずしく甘みがありますね」と、笑顔に。華小町や華おとめ、フルティカなどの品種が人気だ。
実はこの日、9月1日は底引き網漁の解禁日であった。杉本シェフは橋立漁港を訪れ、漁を終えて帰港した船からの水揚げや選別の様子を見学し、底引き網漁の解禁日で活気あふれる夕方のセリにも立ち会った。
この漁港の最大の特徴は、その立地が生み出す抜群の鮮度である。橋立漁港は地形的に、漁場が港から非常に近いため、漁に出た船は十数時間で帰港することができる。そのため鮮度を落とすことなく新鮮な魚をセリにかけることができる。
港には底引き網ではノドグロや甘エビ、ガスエビ、カレイ、ミズイカ、毛蟹、定置網では、サワラやサバなど多彩な旬の魚が次から次へと水揚げされていた。杉本シェフはその様子を間近で眺め、漁師さんから直接いただいた獲れたての甘エビを試食。港や船を見ながら味わえるなんて、最高の気分!
その後しばらく魚市場の中を回り、白ガスエビの8パターンにも及ぶ選別風景や毛蟹の状態などを眺めた後、杉本シェフは県オリジナルの農産物を栽培するほ場へ向かった。
石川県が誇る宝石のようなブドウ「ルビーロマン」をご存じだろうか。石川県が14年の歳月を費やして育成したオリジナル品種であり、黒色の大粒ブドウ「藤稔(ふじみのり)」をもとに、味や色、房、粒の大きさなどの品質や栽培のしやすさを徹底的に調査・研究して誕生した。石川県最高峰のブドウだ。県内6つのJAの管内で栽培されており、2025年の初セリでは、1房100万円の値を付けた。
この日はルビーロマンの生産者のうちの1軒「丸山ぶどう園」を訪ねた。栽培時のご苦労についてお話しを伺っている途中、なんとルビーロマンの味見をさせていただくことに。杉本シェフは「一粒が重く、おいしく、ジューシーです!」と感嘆の声を挙げた。
もう一つの石川県オリジナル品種が「加賀しずく」だ。これは、石川県が16年の歳月をかけて育成した新しいナシの品種。そのナシの産地のひとつである奥谷梨生産組合を訪ねた。
大玉で高い糖度と、整った形をもつものは、1玉1,000円以上の価格がつくことも。昼夜の寒暖差に恵まれているので、味(あじ)が引き締まるそうだ。おしゃれなネーミングや上品な甘さとなめらかな食感があいまって、石川県のブランド梨として人気を誇る。
ずっしりと重い「加賀しずく」を手に取る杉本シェフ。
杉本シェフは、再び橋立漁港へ。橋立では一年を通じて多彩な漁が営まれている。春から夏の潜水漁をはじめ、定置網、刺し網漁など。秋には底びき網漁。そして、なんといっても冬の加納ガニ・香箱ガニ。一年を通し豊富な魚種が水揚げされる。杉本シェフが求める「素材の力を最大限に引き出す」料理にとって、この橋立の魚介は理想的な食材と言えそうだ。
そろそろセリの時刻となった。橋立漁港の底びき網解禁日のセリは、秋の訪れを告げる伝統的なイベントだ。前日の夜、漁船は出港し、朝または昼過ぎに漁から帰港する。水揚げされた魚は種類ごとに素早く仕分けされ、すぐにセリ場へ運ばれる。港や市場には漁協職員や仲買人が集まり、威勢の良い掛け声のもと活発にセリが行われる。杉本シェフもその様子を見学。初物を求める消費者や見学者も多く訪れ、港は活気にあふれていた。
石川県の豊かな食材を巡る杉本シェフの旅は、翌日橋立漁港での座談会で幕を閉じた。出席者は杉本シェフと石川県漁業協同組合の橋本勝寿会長、橋立漁港で長年海を知り尽くした辺本准船長(第十八薫勝丸)、北川智生船長(愛明丸)、遠塚谷透船長(第五恵比寿丸)の3名だ。
今回のツアーのコーディネートをしてくださった石川県農林水産部水産課の島田拓土氏は、座談会の進行を務め、こう語った。
「2024年に発生した能登半島地震と豪雨災害により、石川県の漁業は大きな打撃を受けました。ほぼすべての地区で漁を行えるようになったのが2024年11月。今年、石川は震災復興元年として、4月から新しい未来を見据え、PRも含めて気合を入れていこうとしていました。そうした中、帝国ホテル 東京でのイベントの実施もあり、杉本シェフ自らが2度にわたり石川に足を運んでくださり、石川県の状況に気を遣っていただきました。今回、漁師と膝を突き合わせ、漁師の本音も聞くという初めての試みとして、この座談会の開催に至りました」
座談会の参加者左から「第十八薫勝丸」船長 辺本准さん、「第五恵比寿丸」船長 遠塚谷透さん、帝国ホテル総料理長 杉本雄さん、石川県漁業協同組合理事 加賀支所運営委員長橋本勝寿さん、「愛明丸」船長 北川智生さん
座談会では、能登半島地震復興後の漁協によるイベントを通じた集客の取り組みや、石川県内の各地域が一つになって復興を盛り上げている様子、困っている輪島の漁師たちに橋立漁港の漁師が不足のロープを支援した話、気候変動による海水温の変化、若い漁師や船長の育成など、多数の話題が出た。
杉本シェフは、こう語った。
「昨日水揚げされた新鮮な魚を、漁師さん行きつけのお店で、これ以上ない鮮度でおいしくいただき、まさに最高の味わいを体験させていただきました。今まで2回石川に来て、県外の我々がどれだけ支援や復興に貢献できるかを考えていました。漁師の仲間たちが助け合っている姿を見て感銘を受けました。私はそうした石川の人々の想いを、料理に込めてお客様に伝えるようにしています」
杉本シェフの言葉からは、石川県への想いがひしひしと伝わってくる。石川の食材の素晴らしさは、その背後にある人々の想いの深さにあるのだと訴えかけているようだ。
「これからも生産者の方との対話を積極的に行い、石川のおいしい食材をどんどん使い、食材を単なる素材として扱うのではなく、その背景にあるストーリーと想いを理解し、それを料理で表現し伝えることができればと思いました。より一層、料理への意欲が湧きました」
「地元の第一線で働いている人たちがカッコいい、いい顔をしている。汗だくで働く姿もカッコいい。食材がなければ我々は何もできない。食材の一生を考えれば、料理人が最後に手を加えるのはほんの数%に過ぎない。生産者と料理人の双方が互いの想いを共有し、持続可能な食の未来に向けて歩み続けることの大切さを改めて確認する貴重な機会となりました」
杉本シェフの言葉は深く心に響いた。
杉本 雄 Yu Sugimoto
1999年、帝国ホテルに入社し、料理人としてのキャリアをスタート。2004年に退社し、渡仏。2006年にパリの名門ホテル「ル・ムーリス」の3つ星レストランに入り、ヤニック・アレノやアラン・デュカスのもとで、シェフとして研鑽を積み、責任者の役割も担った。2017年帝国ホテルに再入社し、2019年に東京料理長就任。2025年4月、帝国ホテルの全事業所で500人の料理人を束ねる第3代総料理長に就任。
文・粟野真理子 Mariko Awano
ジャーナリスト。パリに20年以上在住し、日本の女性誌など多数の雑誌や旅行書で取材・執筆活動を行っている。現在は東京を拠点に活動。著書に『パリから一泊!フランスの美しい村』(集英社)など。
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